当たり前って当たり前じゃないじゃない?(Advent Calendar 2017)
早速で悪いがおまえは誰だ
...って多くの人は思うでしょうから、僭越ながら自己紹介させていただきます。
東北大OLC OB1年目の橋本航汰と申します。
2015年度東北大OLC主務とか第38回東北大大会マッパー兼受付チーフとか松島フォトロゲ実行委員長とか北東インカレ実行委員長とかをやってました。
ついでに(ついでじゃないけど)今年度は新人アドバイザーを担当してます。
部内では(細かすぎて使いにくい)OCAD講座を書いていたのですが、たまには真面目な文を書こうと思って今に至ります。
結局ここでは何を書くの?
僕が担当する22日目のAdvent Calendar(オリエンテーリング Advent Calendar 2017 - Adventar)には、「当たり前って当たり前じゃないじゃない?」というなかなか不思議なタイトルをつけました。こいつは
「結構僕達が"当たり前"って思っている言動って立場が違う人にとっては"当たり前"じゃない、じゃない?」の略です。
つまり、「人に教えるのってめっちゃ難しいよね」ってことを書いていきたいなって思ってます。
折角新人アドバイザーというものを任せていただいているので、一度「人に教えること」について考え直してみます。
考え直してみますって言っても、浮かんだ文章をフワッと書く感じです。自分もよくわかってないので難しいのですが...
そもそも教えるのってなんでそんなにむずかしいのさ
突き詰めてしまえば、僕は教えるために必要な技術は
- (相手に)教えられようと思わせられるか
- 自分が当たり前にやっていることでも言語化できるか
- 相手に理解させることができるか
の3つにまとめられると思っています。
自分が「教えるのがめっちゃ難しい」っていう理由は、これらは自分でできていると思っても、確かめる術があまりない点、意外とできない点にあります。アドバイザーになってからの僕の課題です。
ここから一個ずつ見ていきます。
教えられようと思われないと意味があんまりない
どこかで、「学ぼうと思える人は何からでも学べる」という話を聞きました。どこで聞いたかは覚えていないのですが、ごもっともだなぁと思った記憶があります。
それと同時に、教える側としては「学ぼうと思える環境を提供する」ことをしなければならないようにも思います。なんかめっちゃ偉そうな人に超上から目線で言われたら(なんだコイツ)って思うじゃないですか?自分だけかも?
結構な曲解かもしれませんが、学ぼうと思ったことからは学べるし、学ぼうと思えないことからだったら殆ど得られないはずです。
何かを誰かが言ったところで、その言葉に相手が価値を見出すかどうかは聞き手次第です。そもそも「教える」って行動は強制力を持たないはずなので。所謂「聞く耳を持たない」って状態。とてもつらい。
なので、教える立場になってからは、「どうやったら話を聞いてもらえそうな(欲を言えば話をしてくれそうな)人になれるか」を考えてます。
もしかしたら「教えよう」って思っている時点で難しいのかもしれません。「一緒に学ぼう」くらいの気持ちが一番良いのかもしれません。自分も改めようと思います。
"当たり前"って誰が決めるんだ
自分たちが当たり前に考えていることって他の人たちにとっては当たり前でないことが多いように思います。
多分、自分たちが"当たり前"だと思う事象は今までの経験に基づいてできているのではないでしょうか。
もしかしたら、"当たり前がわからない"という状況が伝わらないかもしれません。僕は謎解きが好きなので、オリエンテーリングに関係のないこんな例を用意してみました。
この図には一切日本語は書いていないのですが、パッと見せられると、謎が好きな人達は当たり前のように数秒で「①~④を並べればいいんだな」「この形は50音表の両端だな」「あのはみ出てんのは『わをん』なんだな」「答えはオリエンだな」ってなるみたいです。怖い世界ですね。
そういう人たちがなぜ当たり前のように上のようなことを考えることができるかというと、単純にもう何回も似たようなものを見ていて、もう何回も解いているからです。無意識に似た形を見ると連想されてしまいます。
まあこの例が適しているかどうかは置いといて、話を戻しましょう。初めて見た人にとってはそもそも何が起きてるのかすらよくわからなかったと思います。
ここで注目すべき点は、自分の"当たり前"と他人の"当たり前"は一致しない、という点です。
万人が生まれてから今までに義務教育とかでやっていることとかであれば、共通の"当たり前"って言ってもいいかもしれませんが、残念なことに現代日本でオリエンテーリングは必修科目ではありません。
そのためなおさら、一人一人が全く異なるオリエンテーリングの経験をしているはずです。ならば、一人一人が全く異なる"当たり前"を持っていても不思議ではありません。たとえその"当たり前"が最終的に一点に集中するとしても、それは時間と経験量がなせる業であって、そこに達していない人からすれば全然"当たり前"ではないのです。
だから「尾根の隣って沢じゃん」とか「数百mの直進とかめっちゃムズイじゃん」とか言われると、(そりゃそうでしょ)って思う人と、(言われてみれば確かに)って思う人と、(そうなの?)って思う人がいるわけです。
"当たり前"を説明する
ここまでいろいろ"当たり前"ということについて書きました。それはこれが言いたかったからです。これが言いたいからタイトルをつけたといっても過言
自分が"当たり前"だと思うことは相手も"当たり前"である、もっと言ってしまえば知っていると思って何かを教えようとすると、もし"当たり前"でなかったとき、話が通じなかったり食い違ったりします。
まぁ"それはそういうものなんだ" "とりあえずやってみるか"とする手もあるかもしれませんが...なんというか...時間かかり過ぎない...?効率悪くない...?一つの手段ではあるんですけど...
ましてやオリエンテーリングには人それぞれスタイルがあると思うので、自分の"当たり前"が別の人の"当たり前"になるか?という問題も生じます。
そもそも、"当たり前"なことの説明は結構難しいように思います。恐らく、理由は大半の人が"当たり前"のことを無意識下でやってしまうからです。
この無意識を意識下に持ってこれるかどうか、ちゃんと言葉にできるかどうかが教える側にとっての課題なんじゃないかなぁって思います。
理解してる?納得してる?
実は 教えるのが難しい,と思う理由がもう一つあります.
自分が大学の授業での教育論を学んでいるときに言われたのですが、「理解する」ことと「納得する」ことは似て非なるものであるとのことでした。
「理解する」とは、相手が言われたことにしっかり同意をすること
「納得する」とは、(正確にはわかってないけど)そうなんだろうと思うことなんだとか。
教える側にとっては、「納得させる」のではなく「理解させる」ことが大切です。
これを意識するかどうかで説明の仕方が結構大きく変わります。
納得させればいいのであれば、結論だけババッと伝えれば解決するかもしれません。
ですが、理解させようとするのであればそう話は簡単に進みません。「それが何故か」という理由とか、相手が不思議に思う点はしっかり解決していきたい。
地図読みとかランオブとかで、「ベストルートはこっちでしょ」って言われたとき、自分の中で理屈が組み合って「ああ、確かにそうだ」って理解する場合と、理由はよくわからないけど(例えば先輩がそういうから、速い人がそう言ってたから)「そうなんだろうなぁ」って納得するのは全くの別物です。
「納得する」から「理解する」まで昇華させるためには、聞き手の中でしっかり理由が紐づいていることが大事だと考えています。
そのため、相手が疑問に思いそうなことを考えながら話をするのが根底にあるのかなぁって思います。
...でも結局さ?
ここまで読んでいただいてありがとうございます。思ったより長くなってしまいました。
でも、ここまで読んでいただいた人の中にはこんな感想を持つ方もいると思います。
「でも、結局ここに書いているのは自分の思う"当たり前"に基づくんじゃないの?」
結論から言うと、そうです。としか言いようがありません。
自分はそう思うからこういう記事を書いてるし、全く違う意見を持っている人だっているでしょう。それはそれでいいと思います。
だって結局、何かを誰かが言ったとき、その言葉に価値があるかどうかは聞き手次第だと思うのです。